こころ花のビタミン絵・美・詞

自然の美しさも、造形作品の美しさも、人間の心を安らかに慰め、洗い清め、励まし力づけてくれる親しさがあります。だからこそ人間は美にあこがれ美を愛するのでしょうか。

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心の上

虚空の如くなる
心の上において
種々の風情を色どる

                        (西行法師)



2010-7 002

短冊 「蕪村の句」 梶原嫦人
「朝がほや 一輪深き 渕の色」




2010-7 003

「朝顔絵大皿」 山川 巌 (陶芸) H 4.5×W 31.5





2010-7 001

「海の植物」 原 希実子 (パステル) 45×28




「朝顔について」
7月の半ばに梅雨が明けると、不思議なものでこの花の顔を、それも朝早く
見てみたいという気になる。
その朝顔をもとめる人で、7月6日から8日まで3日間開かれる入谷は鬼子
母神境内の朝顔市は朝早くから賑わう。
この辺りは江戸時代から朝顔園の多かった所で、朝顔市の歴史も江戸末期に
さかのぼる。現在では江戸川や葛飾の業者が朝顔を並べている。
7月上旬の東京はまだ梅雨空の事も多いが、朝早く浴衣がけで朝顔を求める
姿に夏の盛りが近いことを覚える風物詩の一つである。

朝顔はその種の一粒が、一頭の牛の値段に匹敵するというところから牽牛子と
呼ばれ、貴重な薬用植物として中国から平安時代初期に招来された。
その朝顔は、後に観賞用として明け早い夏の朝のすがすがしい風情をもたらす
ものとして、なくてはならない花となる。
花暦では旧暦7月の七夕の頃の花といわれ、牽牛子(けにごし)という古名と
七夕の牽牛星(けんぎゅうせい)と重ねて、牽牛花(けんぎゅうか)の別名も
ある。



山上憶良が「万葉集」に残した秋の七草の歌では、萩の花、尾花、葛の花、撫子、
女郎花、藤袴、朝顔の花を七草としているが、現在では朝顔のかわりに桔梗を
入れて七草とするのが普通となっている。
奈良時代から平安時代にかけて、朝咲いて夕方にしぼむ花はすべて「朝顔」と
呼ばれた。木槿も桔梗も、ほかの花も「朝顔」であった。
平安時代初期に中国から薬草の牽牛子がもたらされ、これも木槿や桔梗と並んで
「朝顔」と呼ばれたが、中、後期には朝顔といえば牽牛花をさすようになった。
(朝顔の文化史・西山松之助)



この説にしたがえば、牽牛花と呼ばれた花こそ今の朝顔であり、憶良の「朝顔」
は今の朝顔ではないことは確かである。

その朝顔を詠んだ名句を揚げる

   朝がほや 一輪深き 渕の色   (与謝蕪村)


今回は、あえて白花の朝顔絵大皿を掲載致しました。
「渕の色」に染めて頂くために・・・

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理想に生きる

人間は理想によって
生きなければならぬ
生活はその理想に向って
集約されねばならぬ


                    吉川 幸二郎 (中国文学者)




2010-6 007
短冊「蕪村の句」 梶原 嫦人
   揚州の 津も見えそめて 雲の峯




2010-6 002
「染付山水香炉」 曽根 幸風  H.9.0  W.6.5   ( 江都の風情)



2010-6 006
「大きな草原」  G. ボッソラ  32.0×42.   (麦秋の光景)



「もろこし」と「ひのもと」

与謝蕪村は画境においても、詩境においても、中国に範を求め続けていた。
つまり彼は中国の先進文化に一目も二目も置いていたのである。
しかし蕪村は日本に居ながらにして中国に対する劣等感を日本的なものの
強調によってはねのけようとした。
それは西洋文化に向かい合った明治の知識人のコンプレックスと共通する
心理といってよい。
そしてこうした意識は彼の絵画や俳諧の中に、はっきりと見てとることが
できる。
蕪村がいかに中国に拘泥していたかは彼のつぎの句がそれをよく示している。
夏になって入道雲がむくむくと立てば、その下に見えてくるのも中国の港町
なのであった。

  揚州の 津も見えそめて 雲の峯

蕪村は中国文明にこだわればこだわるほど、日本を意識せざるをえなかった。
その心情は上の句ににじみ出ていると思われる。

蕪村の敬愛する俳聖、松尾芭蕉が奥の細道の紀行に出羽三山(羽黒山、月山、
湯殿山)をめぐってその月山で詠んだ句。

  雲の峯 いくつ崩れて 月の山

出羽三山の巡礼を終わった芭蕉は酒田に向うのである。
彼の揚州の情景と重なる処が多く、蕪村の中国(もろこし)に対する日本(ひのもと)
の意識が、色濃くにじんでいる。





2010-6 004




蕪村は

  桜なき もろこしかけて けふの月

という句において「桜」と「月」を対比させ「もろこし」と「ひのもと」の差異、
共通を詠んでおります。
揚州(中国・江蘇省)と言えば江都をイメージしてしまいます。
そこで柳流水絵茶碗と「中国」と「日本」共有の梅にちなんだお菓子を取り
合わせてみました。

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難有い世界

住みにくき世から、住みにくき煩ひを引き抜いて
難有い世界をまのあたりに写すのが詩である
画である。あるは音楽と彫刻である。


                                          「草枕」 夏目漱石



2010-5a 001
短冊 「蕪村の句」 梶原嫦人
  ほとゝぎす 平安城を 筋違に




2010-5a 004
「青楓絵茶碗」中村能久 H7.5×W12.0





2010-5a 002
「はばたき」 菅沼荘二郎 18.0×26.0 水彩




むかしから春の花、夏のホトトギス、秋の月、冬の雪が四季を代表する
景物であった。和歌俳句を通じてこの4つは伝統的に重い詠題とされて
いた。だが今では夏のホトトギスには首をかしげる人も多いと思う。
それほど現代人の生活感情から、遠ざかってしまったのである。
昔の人がホトトギスの初音を聞きもらすまいと、気を使っていた理由が
わからなくなってしまた。
ホトトギスは南方から海を渡ってくる候鳥である。だが昔の人はそんな
知識はなく、山にこもっていたのが4,5月ごろに出て来るのだと考えて
山ホトトギスといった。
その一声を待ちわびる気持ちは、花の咲くを待ち、散るを惜しむ気持ち
と同様、古来文人墨客の生活感情の型になっている。

万葉集には
   五月山 卯の花月夜 ほととぎす
         聞けども 飽かず また鳴かぬかも

と詠まれている。卯の花の白く咲き満ちた上に、月光が降り注いださまを
卯の花月夜と言った。
卯の花とホトトギスとが夏の到来を知らせる景物として、この2つを詠み
合せることが歌の定石のようになったのである。
それは今日でも歌われている、小学校唱歌(佐々木信綱 作詩)
      卯の花の匂う垣根に
      ほととぎすはやも来なきて
      しのび音洩らす夏は来ぬ

などでも踏襲されている。
ウグイスは別名を春告げ鳥と言い、文字通り春を告げ、ホトトギスは夏の
到来のメッセンジャー。

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5月の夢

木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり
鐘が鳴り花束が 目の前で咲き誇り
残された青空が 夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

                              「5月の別れ」 井上陽水




2010-5 019


2010-5 031


2010-5 022


2010-5 032


2010-5 028


2010-5 029


2010-5 024



2010-5 023


2010-5 027


2010-5 026


2010-5 030


2010-5 003




大詩人とは、その人の感性が中心になって世界を築きあげる詩人のことで、
並みの詩人とは、詩という定まりに従って詩をつくる人だといわれます。
井上陽水の世界はシュールリアリズムそのもの、言葉と言葉が出会う時に
発するエネルギーが楽曲に満ち溢れているように思います。
言葉以前なのが、それとも言葉を超えているのか。
陽水の発する言葉の海に身を沈めて一体化する、
そんな夢を叶えてくれそうな木々の若葉と残された青空。
まるで白昼夢の中にいるよう・・・

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美を求める心

美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の
問題ではなく、私たちめいめいの、小さなはっきり
した美しさの経験が根本だと考えているからです。
美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。
美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。
絵だけが姿を見せるのではない。
音楽は音の姿を耳に伝えます。
文学の姿は心が感じます。
   
                            「芸術随想」 小林秀雄




2010-4a 007
「方百里 雨雲よせぬ ぼたむ哉」
短冊 「蕪村の句」 梶原 嫦人

この句は、百里四方雨雲を寄せ付けないという牡丹の富貴、栄華、権勢等
その特色を極度に誇張した積極的な表現を見せている。



2010-4a 008
「赤地金唐花文鉢」 八塔亭 二寧  陶芸 H7.0 W15.0




2010-4b 001
「作品」 羽生 出  油画 44.0×35.0



「牡丹を語る」   随筆家 岡部 伊都子

わたくしは、牡丹木の薪にあこがれ、一束の枯枝をもらっていろりで
焚いてみたことがある。
すこしずつくべているうちに、かんばしい香りがたち、太い枝を焚くと
白光のように明るい光の焔が、めらめらとはしった。
なんとも美しい焔で「古枝にものこっているこうした光のエキスが
あのうるわしい花びらと化す力か」と感銘した。





2010-4a 005
「花の宴」 菅沼 荘二郎   水彩画 19.0×26.5





2010-4a 009


2010-4a 010



晩春から初夏への時の流れに応じて「花の宴」の舞台も回って行く。
桜から藤そして牡丹へと、その主役を交替させながら・・・・
藤の花のお菓子と、ほころびかけた牡丹の蕾に見立てた赤楽の茶碗で
幕間に一服頂くことに致します。

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