こころ花のビタミン絵・美・詞

自然の美しさも、造形作品の美しさも、人間の心を安らかに慰め、洗い清め、励まし力づけてくれる親しさがあります。だからこそ人間は美にあこがれ美を愛するのでしょうか。

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美しい世界

 ゆたかさとは何だろう。一言でいうなら、美しい世界のことだと、
ぼくは思う。何を美しいと感じるかは、むろん、人によって違うだろう。
けれど、美しい自然、美しい街並み、美しい住まい、美しい調度・・・
だれもが、そうした暮らしの中で毎日を過ごしたいと願っているはずだ。
 しかし、美しさは、こうした外的な世界だけにあるのではない。
そのような環境を願う心のなかにこそ、ゆたかさの根源が秘められて
いると言っていい。美しさをひたすら求める心、美しさを充分に味わう
ことのできる感性、美しさを夢見る想像力、これこそが真の文化をつく
りだすのである。

                                          「月は東に」 森本哲郎


                      
           2010-1b 004
             「蕪村の句」(短冊) 梶原嫦人

「うめ散るや 螺鈿こぼるゝ 卓の上」
与謝蕪村の傑作といってよい。卓上に散る白梅の花弁が、その卓をたちまち螺鈿をちりばめた
調度に変える。こうした梅のイメージをとらえた作品は蕪村以外にはみられない。

蕪村は江戸中期の画人であり、俳人であった。当時の日本社会は、現代から見れば、物質的
なゆたかさとは、およそほど遠いものだったろう。にもかかわらず、彼はなんと、ゆたかな心
の世界を持っていたことか。そうした心の世界を、現代の日本人は忘れかけているように思え
てならない。





2010-1b 002
「織部梅絵角皿」 八塔亭二寧 (H4.5 W23.5×23.5)



「梅について」
梅がいつ日本に渡来したのか記録はない。しかし8世紀初めに出来た「古事記」「日本書記」
に梅は出てこず8世紀後半に成立したと思われる「万葉集」でにわかに春の花の代表格として
188首に歌いこまれている。そこで梅は8世紀前半に中国から渡来したとみていいであろう。
「梅に鶯」という取合せは唐の文人がつくり日本の律令貴族がこれを観念として受容したもの
である。梅の花もその花に寄せた美意識もともに異国趣味だったのである。これらはすべて白
梅である。外国の文物の移植は、その先進性にひかれながら地方でうけいれられる側に内在
する意識の選択がはたらく。梅の移植が白梅からはじまったのもそのせいである。

「日本三代実録」貞観16年(874)8月24日に大風で倒れた木を記録しているが、その中に
「紫宸殿の桜、東宮の紅梅、侍征局の大梨とある。これが紅梅の出てくる初めである。日本で
紅梅がつくられたとは考えにくいから、紅梅は白梅から1世紀おくれて渡来して来たとみなす
のがいいであろう。紅梅が文芸に登場するのは平安の女房たちによってである。「枕草子」で
清少納言は「木の花は濃きも薄きも紅梅」と書き、紫式部もその「源氏物語」に「紅梅」の巻
がある。そこに源氏の孫、匂宮が一枝の紅梅をさして、紅梅は色のもので香りの方は白梅に
おとるというが、これは色といい香りといい立派に咲いたものだねというくだりがある。

紅梅は白梅より花期がやや遅い。梅花は春を告げる花だから、その開花の遅速にはことに
敏感になっていて紅梅は若干花が遅れることは知られている。白梅には早春の冷やかさが
あるが、紅梅には暖かさが感じられる。




2010-c 004
「紅梅」 井上清治 (紙本・彩色 45.5×53.0)



「紅梅賛」
ひとくちに梅といっても、白梅と紅梅とでは受ける感じが随分と違う。白梅には冬の名残りが
あるが、紅梅はすでに春そのものである。
白梅が冬の方からさし出された春へのメッセージとすれば、紅梅には春の方から、春を迎え
に季節の尖端まで出向いてきた趣があり、同じ梅園に並んで咲いていても両者にはそれだ
けの気分の違いがある。
                                      「花に逢う」 上田 三四二



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