こころ花のビタミン絵・美・詞

自然の美しさも、造形作品の美しさも、人間の心を安らかに慰め、洗い清め、励まし力づけてくれる親しさがあります。だからこそ人間は美にあこがれ美を愛するのでしょうか。

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日本の昔の歌

日本の昔の歌の素晴らしさって、
理想を歌っていることだと思うんです。
自然の美しさや命を尊ぶこと。
今の時代で忘れられかけているのでは
ないでしょうか。

                                 下垣 真希 (ソプラノ歌手)




2010-2 001

「菜の花や 月は東に 日は西に」
蕪村の句(短冊) 梶原嫦人



日本の春は、黄色い花が幅をきかす。タンポポ、レンギョウ、マンサク、ヤマブキとみな黄色の春
の花である。その中で、菜の花の黄はことに強烈である。
菜の花は、油菜の花で、別名なたねともいう。茶の湯では利休忌までは席に入れない事になって
いる。
一般では3月3日の桃の節句に、桃の花と合せてお雛様に飾られる。また菜の花が群れをなして
咲いているのに出会うと、春をいっぱいに感じ目のさめるような思いがする。


2010-2 006

「春  宵」 原 希実子
(版画 43.0×58.0)




「菜の花のある風景」
菜の花には童画や絵本のような親しい気分がある。
  文部省唱歌「朧月夜」

  菜の花畠に入日うすれ
  見わたす山の端霞ふかし

メロディに乗せて歌うと郷愁にかられる。この野の眺めはやはり「菜の花畠」でなければならない。

菜の花や 月は東に 日は西に (与謝蕪村)

日は西に傾いて、先程の唱歌にあるように入日のかげは花にうすれるが、菜の花の黄はかえって
冴える感じで、畑いちめん、地上三尺に漂う黄色の海が暮れのこる。そこへゆらりと大きく丸い月
がのぼる。
出ばなの月は黄味を帯びて菜の花のむこう、まだ明るい空に低く懸っている。月も日も、菜の花を
軸にしてゆるやかに天空をめぐっているかのようである。
                                 (花に逢う 上田 三四二)





ここで、あらためて蕪村が俳句に描いた美の世界、ゆたかな心の宇宙を逍遥してみたい。

  春の夜や 宵あけぼのゝ其中に (与謝蕪村)

蕪村はこの句に、「もろこしの詩客は、千金の宵をゝしみ、我朝の歌人は、むらさきの曙を賞す」
という前書きを添えている。中国の詩人、蘇東坡は、「春宵一刻値千金」と詠んで春の宵の詩情を
讃えているが、我が日本では清少納言が「春はあけぼの」といって曙を賞している。だがその宵と
曙のまんなかにある「春の夜」もまた捨てがたいのではないかというのである。このように蕪村は
中国人と日本人の歌人とを対置し、さらに俳人である自分の好みを強調している。

2010-2 002

「曙 盆」 中村 宗悦
(漆芸 H2.0×W24.3)



  曙の むらさきの 幕や春の風 (与謝蕪村)

この句も「枕草子」の冒頭の一節
「春は曙。やうやう白くなり行く山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」
より得たものである。

2010-2 003

「紫釉茶碗」 西村 源治



「春の宵」から「曙」のまでの時の流れに身も心もゆだねたいそんな季節が巡って参りました。

2010-2 005



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